天皇陛下 即位の儀式に感じたもやもや。即位の儀式と現政権のスローガンがダブって見えた件

2019年5月1日、先の天皇陛下の退位に伴い新たに先の皇太子殿下が天皇として即位されました。

元号も「令和」と改められ、お祝いムードでいっぱい。

今回の改元は大変おめでたく喜ばしいことで、家族で即位関連の番組を見て過ごしました。

私、綺麗なものを見るのが大好きでして、その思いから国内外のロイヤルファミリーに関する報道はきっちりチェックしております。ロイヤルウォッチャーってやつですね。

東宮御所からお出ましになった雅子皇后陛下は輝くばかりのお美しさで、10時前からテレビの前でスタンバイした甲斐がありました(^^)

 

 

天皇陛下の即位に関する一連の儀式に違和感!

まず最初に。先の天皇陛下の生前退位については大変喜ばしいことだと感じています。

私が違和感を感じたのは「剣璽等承継の儀」

 

参列されたのは皇族のうち成年男子のみでした。

皇位継承という行為において女性は権利を有していませんから、男性のみが参加されるのは当然なのかもしれませんが…

ここ数十年の間に女性天皇の是非を検討して立ち消えになりという流れからの「男性だけ臨席」の儀式。即位の儀式は全世界に向けてう堂々と「男性だけが権利を持ってます。このルールは今後も変えるつもりはありません。」と伝えているようなもの。この21世紀の世でです。

 

もやもやの正体は儀式一式を取り決めた人たちのこと。

大臣なのか、国会議員なのか、はたまた「有識者」という名目で集められた各界の成功者たちなのか…

最近は某事故の波紋もあり「上級国民」なんて言い回しをよく目にしますが、要するにそういう人たちのことだと思っています。誰が何と言おうと特権階級です。

特権階級の彼らも、所詮は人間ですから彼らの物差しでしか物事を見れません。時代の移り変わりに伴って若い人たちの意識は変わってきているものの、政策決定権のある年配の男性たちの意識は、彼らが若者だった高度成長期ごろで止まっている可能性もある。男は外で働いて、女が家庭労働を一手に引き受けていた時代。これが、ルールを決めた人々の意識と思われます。

 

皇室のルールを決めている人たちは庶民の生活に直結するルールも決めている。

彼らは皇室関係のルールのほかにも政策決定など庶民の生活に直接関係することも決める立場にある。

最近の気になるスローガンを挙げてみます。

「一億総活躍」

「すべての女性が輝く社会づくり」

 

…つまり。耳触りの良い言葉を並べているものの、現政権のやっていることは、一方で女性も働けと言っておきながら一方で女性の権利は制限するぞと言っているようなものではないか。それを具現化したのが本日執り行なわれた剣璽等承継の儀」ではないと感じたのですよ。

そして、大手メディアがこのことについて当たり障りない事しか言わないのは、そこに触れられないのか、伝統的な行事としてナチュラルに受け入れられているのかは謎ですが、少なくとも私は気持ちが悪いなと感じました。

 

片山さんが参加されていることも、男だけだと叩かれると思ったからですよね。(深読みし過ぎ?)

 

どうしても仕方ない。人間の本質だから。けれど…

「権利を持つ者」と「権利を持たざる者」がいる場合、持たざる者が持つ者の言いなりになります。悪い言い方をすると、権利を持たざる者が「モノ扱い」される場合だってある。

 

持つ者と持たざる者の関係は、“男性vs女性”、“正社員vs派遣社員”だとか、“上級国民の前では一般庶民も皇族もまな板の上の鯉”だとかそんなことを考えて悶々としてしまいます。支配者階級の都合のいい世の中になっているようにしか思えない。

 

まあ、男尊女卑の問題はあと20年も経てば事情が変化しそうに見えるんで、次の「即位の儀式」がどうなるのか見ものだなと思っています。

 

 

まとめ

男尊女卑の問題は解決するだろうから置いておいて、格差と権利の問題は深刻だと思います。このままいくと令和の時代はさらに格差が広がり…格差社会なんて言葉が出ないようになったとしたら、それは本当の意味での階級社会の始まりかもしれません。

 

令和の時代が幸多き時代になるよう切に願います。